J'adore -2ページ目

52 なつかしい指2

natusora


二人は、これから夏を迎えようとしている山の緑のグラデーションを感じながら、同時に若々しい木立の香を確かめていた。


針葉樹から発生している凛とした香が、アユミに元気を与えている。


こうやって徳永と山の道を、ただ黙って走る時間が好きだ。


アユミはふと、徳永がギアーを握る右手に自分の手を重ねた。


「どうしたの?珍しい。」


「確かめたかったの。あなたがわたしのそばにいるってこと。」


そう言いながら、徳永の小指から薬指、中指と、一本ずつ、自分の人差し指でなぞる。


「あなたの指を3日前、見たの。指でわかったわ、あなただってね。」


「なぜ声かけてくれなかったの?」


「女の人と一緒だったわ。あなたにはあなたの時間があるもの。わたしにもわたしの時間だったし。」


「そう。」


アユミは徳永の顔は見ない。


そんな彼女の左手首を強く握った。


「たぶん、君以上に人を好きになれないよ。アユミが好きだ。」


素直にうなずけない。


何かが妨げていた。


彼の指の温かさとたくましさを信じたいのに、恐れていた。



51 なつかしい指

bara1


夏の昼下がりのカフェはにぎやかな女たちの声であふれている。


アユミは入り口近くの4人がけテーブルで友達を待っていた。


この店は、最近やっとこの町でもはやりかけているマクロビオテックの店で、


オーガニックにこだわったベジタリアンの料理とコーヒーを売り物にしている。


オーナーは40代後半の女性で、カウンターの中の小さな厨房で忙しくランチプレートを作っていた。


まるで鳥肉のような大豆ミートを使ったカレーとバルサミコのドレッシングであえたサラダに


玄米ご飯と野菜コンソメのスープ。


どれも優しい味付けで、疲れた夏の体にはピッタリだ。


奥の窓にしつらえた長いカウンター席からはあたり一面に広がる田園風景を眺めることができる。


もしも一人だったら、その席のほうが楽しいだろう。


窓の下から続く緑のグラデーションは、ひとつとして同じ色はなく、はるか山並みまで広がる。


そのとき、アユミはある一人の男性の指に目が止まった。


どっしりとしたデュラレックスのグラスを左手で囲むように持つ癖。


徳永だった。


彼の目の前にはオーガニックのアイスコーヒーとモンブラン。


彼は誰か女性と来ているらしかった。


そんなに会ってないわけでもないのに、彼の指がなつかしいと感じる。


その指は、二人で会っているときは、いつもアユミの手の上に重ねられている。


「離れていないことを実感したいから。」


徳永ははにかみながらそう言った。


だから、こんなに近くにいて二人の指と指が離れているのが不自然に感じる。


それでもアユミは徳永に声はかけない。


彼の背中の緊張感から、彼女の存在には気がついているはずだ。


アユミはただ、彼の指がなつかしいだけ。


でも、その指に触れられたいと望んでいる彼女も存在していた。


目の前のグラスに、徳永の背中が写っている。


「振り向かないで。」


アユミはなぜか、そう願った。



50 夕陽がきれいに見えるから

hikari


こんな風に大きな夕陽を見るのは久しぶり、だと思う。


毎日あまりにも自分に必死すぎて、季節を感じるのを忘れていた。


気がつくと、もう夏は終わりに近づいている。


自分には変化がないとも言えるし、大きく変わりつつあるとも言える。


いろんな意味で諦めもついて、希望もみつけられてて、明らかに去年とは違う。


そして、小さな恋の種が少しずつ目を出しかけている。


大切に育てたい恋の種ね。


いつもきれいにアレンジされた恋を楽しんでいたけど、


土の中から、どんな花が咲くのかを楽しみにして毎日水をやりたい自分になってきた。


だから今日の大きな夕陽も、心からキレイだと感じている。


自然はその素敵な意外性で驚かせてくれて、ときめかせてくれる。


故意ではないから、何もないから、その美しさにときめく。


毎日同じ時間の繰り返しのようだけど、同じ瞬間は2度と来ないと強く感じた。


大切な瞬間を感じることのできる素直な自分でいたい、と強く願う。




49 最高のキス



「別れるときもわたしたちには雨がついてくるのね。」


カオリと一色はビルの13階にあるレストランに来ていた。


冬の終わりで春の始まり。


そんな日の午後、二人は別れようとしている。


お互いにそれを望んでいたが、結局最初に口にしたのは一色のほうだった。


そして、はっきりと確信するためにこうして雨の降る街を眺めながらブランチをとっている。


誰も乗る人のいない観覧車が寂しそうに濡れていた。


カオリはこんなに寒くなければ、最後に一色と二人で観覧車に乗りたいと思う。


二人して最後に街を見下ろして、最後のキスをする。



でも、毛皮のコートなしでは歩けないくらいの寒さの中では、さすがにそんなことは口にできない。


もう自分の恋人をやめようとしている彼に向かって、そんなワガママは言えない。


窓にたたきつける雨のラインを黙ってみつめた。


「好きな女(ひと)ができたんだ。だからカオリさんには正直に言いたかった。」


一色は水の入ったグラスを撫でながら言う。


「カオリさんの心は僕になかったから。違う?」


「そうかもしれない。いえ、そうだった。あなたをいつも信じてはいなかった。」


「信じてなかった?」


「そう。いつも不安で寂しくて、あなたに会うたびに悲しかったの。自分に自信が持てなくて悲しくてどうしようもなく不安で。」


「僕が若いから?あなたに対する気持ち、ウソはついてなかったよ。あなたが好きだった。」


「過去形ね。今は好きな人ができたのね。」


「あなたにはあなたの時間がある。そして、あなたにはあなたらしくさせてくれる人がいる。そして、ぼくもそういう女(ひと)をみつけた。」


カオリは一色の目を見た。


ウソではないと思う。


一色はカオリの代りにカオリの気持ちを代弁してくれている。


「最後に最高のキスをして。お別れの記念に。」


「ダメだよ。そんなことしたら別れられない。忘れられない。」


「そうね。愛してもいない女(ひと)とキスすることはないわ。」


言いながら、カオリは泣きそうになっている。


「別れるときに最高のキスをプレゼントしようと思ったけど、飛んだ思い上がり。」


「キライになったわけではないよ。」


「好きじゃないんなら、わたしを忘れて。」


グラスに残る赤ワインをカオリは飲み干した。


まだ少し若いイタリアのワインのフレッシュな苦味が広がる。


もう、ここに自分が存在する意味はなく感じた。


彼を解放するときが来た。


彼にも彼の時間がある。









虹色のボーダーライン

natusora


買い物帰りの道は、たぶん家路に向かう会社帰りの車で混んでいた。


エアコンの効いた寒すぎるくらいの空気が苦しくて窓を開けたが排気ガスのにおいが鼻につく。


信号待ちで空を見上げると、虹色のボーダーラインだった。


夏の終わりの夕焼けは、こんなにも華やかなグラデーションに染まるんだ。


「きれい。」


そう素直に思ったから声にして言ってみた。


オーレオリンな色からマゼンダカラーまで幾重にも重なるジョーゼットの薄いドレープが重なっているようだ。


重なり合うシフォンのカーテンを両手でかき分けながら進む自分を想像した。


手に触れる薄い滑らかな感触とふわりと手から離れるときの寂しさ。


薄い布が揺れるたびに小さな風が揺れる。


色が変わるたびに心も変わる。


わたしは何枚のカーテンをめくり、色のグラデーションの中を歩いてきたのかしら?


いつまでも恋する気持ちを忘れないなら、美しい色の中を自分は歩くことができると知っている。


たぶん終わらない。


今の恋が終わっても、また美しい色の恋のカーテンから風が吹く。


今もそう、風が吹いているのを感じている。


イランイランの香が甘くくすぐる。


たぶん新しい恋が始まりかけている。






ある意味、別れ


ともだち、なんて美しく都合のいい言葉。


ある男友達のことを思い浮かべた。


本心から言うと、わたしは彼らを友達だけだなんて思ってはいない。


「一緒に寝ても、朝まで何にもないさ」なんて、お酒を朝まで飲みながら笑い合う。


そんなことないでしょ?


そんなのイヤだわ。


わたしはまだ、あなたたちのことを男だと思っているし、わたしを女として感じていてほしいもの。


友情っていうものに、もしもわたしたちの関係が変わってしまったら


それはある意味『別れ』なのよ。


わたしが女として魅力的ではなくなったことだし、あなたもオトコの香を失ったことになる。


だから友達だなんて、思い込まないでほしい。


たとえアムールはなくても、たまには女であり男であると感じてほしい。


空気のような存在にはなりたくない。


少しはあなたに刺激を与えたい。


まだまだわたしたちの間が友情だけでつながれるには早すぎるわ。


好きだなんて言ってくれなくてもいいけど、たまには危ない雰囲気で過ごしてみてもいいと思う。


そんな勇気失ったら、ちょっと人生の色もセピアかかってくる。


だから、トモダチだなんて思い込まないで。


わたしってやっぱり『オンナ』です。





48 空に散る思い

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そんなにも暑くない夜だとカオリは思いながら、ただ真っ直ぐに港へ向かった。


珍しく一人で歩いている。


手には真っ赤なうちわを持って、素足にウェッジソールをひっかけて、アーミー柄のTシャツ。


ヒップラインを美しく見せるシフォン素材のラップスカート。


自分の部屋から、花火を見たくて一人で歩いてきた。


道には人が溢れていた。


家族連れ、恋人同士、友達グループ。


みんな誰かと笑いながら、空を見上げている。


花火が空を行きかうたびに歓声が上がった。


「わたしはここで何をしているのかしら?」


ダンスを踊るように空を舞うスペインの花火を見ながら気がつく。


一人でいるのが寂しいのではない。


二人でいるよりも、平和でいられるという今の恋が不安すぎる。


金色の火花が舞い落ちるように、思い出も散らそう。


空を見上げた。


海からの風が吹いている。


「来年も一緒に見に来ようね。」


隣の二人がシアワセそうに言った。


来年のことなんてわからないわよ。


カオリはちょっとイジワルな自分が嫌い。


そのときカオリの携帯が振動する。


高見からだった。


「今、一人で花火を見てるわ。あなたは?」


「俺も見てる。」


「一人で?」


「車から見てる。」


うそ・・・・・・。


「今から会える?」


「会わない。」


カオリはもう決めている。


花火のように、散ってしまう思い出はいらないから作らない。

47 光る雲に

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ふと見上げた空には、思いがけない大きな白い雲が浮かんでいた。


夏のたくましさ、勇気を感じる雲が湧き上がっている。


カオリは運転しながら、実は別れた高見のことを考えてしまっていた。


夏のまぶしい日差しがいけないのだ。


去年の夏の午後、日焼けなんか気にしないで、窓を開放して海辺をよくドライブした。


カオリの右腕だけ、小麦色をしていた。


高見のシトロエンの右の席に座ることが多かったから。


それなのに今年のカオリときたら腕も顔も、夏を感じさせない白さのままだ。




桧垣と裸のまま、ホテルの部屋のドレッサーの鏡の前に立ち、肌色を比べた。


「まるでオセロだね。」


カオリの胸に左手を伸ばして覆って、桧垣が笑った。


「そういうあなたこそ、歯だけが真っ白?」


「オトコの色黒は七難かくす?」


「あなたに難なんてあったかしら?」


「いつも君に会うときは努力してるんだよ。」


二人は腕をからめてミネラルウォーターを飲んだ。


桧垣は口に含んだ水を鏡を見ながら、カオリの鎖骨の窪みにこぼした。


窪みに治まりきらない水が、キラキラとブラケットの光に反射しながら床に落ちた。


水が肩から胸に落ちて、腰を伝わる。


その冷たさが快感となる。


カオリは首を斜めに向けて、桧垣とキスをした。


そんな昨夜の風景を思い出す。


光る雲に向かって少し車を走らせようと思う。


エアコンを切って窓をオープンにすると、乾いたアスファルトのコールタールが混じった香がしてきた。


ちょっと重たい目のキャンティのワインでも飲みたい気分になってくる。


今夜は一人で胡桃でもつまみながら、友達に借りた『スモーク』のDVDでも見ながら楽しもう。





泣いてもいい?


突然として明日が信じられなくなるときがある。


約束は空虚な言葉遊び。


過去が未来につながることを信じられない。


こんなに明るい空の下、自分のいる場所をみつけられないから、


涙している自分さえも無意味な気がして、自分を確かめる。


生きていかなくてはいけないの?


このままずっと、誰のために?


泣くのは簡単ね。


だけど、わたしは微笑まなくてはいけない。


空に星は輝いていない夜もあるけれど、たまにはいいじゃない。


雲の陰に隠れて休んでいたいときもある。


涙して、涙流して、スッキリしたら


あきらめよう。


思い通りにならないことが多い。


だから予想を裏切ったシアワセなハプニングは、とてもシアワセ。


きっと、きっと、あなたにも起こる。


だけど、今夜は泣かせてね。


長い電話はしない。


たった一人で、誰の邪魔もしないから


ほんとうに泣かせて。


46 甘い裏切り

kyoto


イタリア製の漆喰をわざと荒々しく使ってある白い壁。


天井は赤みがかった茶色の土佐和紙で、埋め込んであるライトのせいで


壁に薄い赤い色が反射して少しエロチックな影を作る。


真っ黒な漆の低めのサイドボードには、アジアの香りがする敷物の上に備前焼らしい香炉が置いてあった。


サクラのフローリングに、やはり黒い漆塗りのテーブル。


大きめにしつらえられた窓からは、民家にしては広い庭が見渡せる。


竹が涼しげに何本か植えられていて、その横には小さなつくばいがある。


やっと夜に近づいて、山から吹き始めた風で竹が揺れている。


ここはまるで隠れ家のような普通の住宅、といってもある社長の別宅らしいのだが


それを改造した予約制の茶屋=カフェ。


桧垣とカオリは、今夜は珍しくノンアルコールの夜にしようと思い立ち、前から行きたかったこの店に予約を入れた。


本当に看板もなく、モダンな数奇屋風建築の住宅でインターホンを押して玄関のドアを開ける。


通された部屋は和と洋が無理なくとけあった部屋で落ち着いた。


二人は抹茶を注文する。


桧垣には備前の器で、カオリには美しい瑠璃色のガラスの器でお薄の抹茶が出された。


虎屋の羊羹、水の流れのような薄いブルーが真っ黒の中に映える。


ずっしりとした甘さが、体の中に巡る。


心地よいハーモニー。


静かだった。


竹の枝が、まだ揺れている。


優しい風が吹いている。


音楽も流れていない静けさの中で、二人はしばらくお茶を楽しむ。


器に残る抹茶の模様をカオリはみつめていた。


流れる。


時間も流れる。


思いも流れる。


今、カオリの心も静かに流れている。