J'adore -6ページ目

18 恋に落ちないで5

bara1


サリナジョーンズのライブを聞いた後、シトエと菊池は大きな観覧車に乗った。


冬の寒い空気が街の景色をより輝かせている。


空中に浮かんだ二人だけの短い時間。


このまま止まってしまえばいいのに、と心から願う。


「キスしようか?」


菊池がシトエの頬に右手で触れて微笑む。


もちろん拒む理由などない。


シトエもそうしたいと感じていたから。


初めに左の頬、そして唇に、しばらく二人はキスに夢中になっていた。


「こんなに誰かを好きになるとは思っていなかったよ。」


「恋している?」


「とても恋しているよ。」


「奥様の次にかしら?」


「彼女には恋はしてない。」


「でも、好きなんでしょ?だから一緒にいるんだわ。」


「好きじゃないとは言えない。なんていうか、家族なんだな。」


「わたしは?」


「恋人。夢がある。」


シトエの心の中で冷たい風が吹いている。


夢は眠っている間に見るから素敵なのよね。


現実ではないから気楽に見れるのが夢だわ。


指を絡ませながら、シトエは菊池の瞳を覗き込んだ。


答えは見えているが、わざと見ないふりをしようと思った。





17 恋に落ちないで4

hanabi


シトエと菊池は、帰りが同じ方向だった。


繁華街から20分ほどだったので、二人で歩いて帰ろうということになる。


2件目のバーでは、菊池の仲間がキープしてあったウィスキーを3杯ほど水割りで飲んだ。


ビートルズ世代の彼らは、カラオケでビートルズナンバーを、けっこうかっこよく歌う。


気がつくと、もう12時を回っていた。


そこで自然とお開きになり、また会おうなんてみんなでアドレスを交換しあって御開きになった。


そうやって飲んでいる間、菊池とシトエは特別二人で話をしたわけではないのに、


菊池の歯科とシトエの家が近くだったので、当然のように二人で同じ方向へと向かう。


話していると、二人は偶然にも高校が一緒だったこともわかった。


「ねえ、わたしたち偶然が重なりましたね。偶然はここで終わるのですか?」


二人がそこで別れなければいけない角で、シトエは菊池に聞く。


「ここから始まるんだと思うよ。」


菊池はシトエに近づいて抱きしめた。


シトエは思わず目を閉じて、菊池の肩をつかむ。


そのとき菊池の唇がシトエの頬に触れた。


しばらくとどまっていたが、唇にはやってこない。


「来週、バーB(ベー)で会おう。8時に。」


「待ってます。」


「おやすみ。」


「おやすみなさい。」


二人は握手して背中を向けて、自分たちの家に向かう。


菊池の妻の顔が浮かぶ。


だけど、恋は停められない。


走り出していた。

16 恋に落ちないで3

kakuteru


菊池とは、あるパーティーで一緒のテーブルを囲んだことで出会った。


たしか菊池の同級生である地元出身議員主催のパーティーで、


シトエも友人と人数あわせのような感じで参加していた。


菊池は家族で参加していて、優しく二人の男の子をあやす姿が印象的で、


一緒にいる夫人も上品で穏やかな印象の女性で、その家族の姿は理想的に見えた。


子どもを膝に乗せた菊池とテーブルの向かい合わせで目が合った。


そのときの暖かい瞳をシトエは忘れない。


ただ、いい家族で、いいお父さんで、いい夫として菊池をインプットした。


夏のある日、友人からビアガーデンに誘われて、あまり気が進まなかったが


一口目のビールのうまさには勝てないような暑い一日を送ったシトエは、


まだ太陽が照りつけるホテルのテラスでビールのジョッキを前に友人を待っていた。


このホテルは飲み放題、食べ放題を売りにしている。


ホテルが運営しているだけに、foodのほうも充実している。


なんと言っても、この街では一番高いビルのテラスなので見晴らしは最高だ。


友人が来るまでは手すりにもたれかかって、眼下の町の景色を眺めよう。


そんなことを思いながら、右を向くと、菊池がシトエを見て微笑みかけていた。


目が合うと、こっちへおいでと手を振っている。


菊池は、同級生の男だけ6人グループで来ていた。


「君は一人?ではないよね。」


「まさか、さすがにビアガーデンに一人では来ませんよ。


それって罰ゲームみたいじゃないですか?」


「失礼。失礼。じゃあ待ち合わせなの?」


「ええ、女友達がもうすぐ来るはずです。」


「じゃあ、こっちで一緒に飲もうよ。男だけではむさ苦しいなぁ~と言ってたとこだよ。」


そんなやりとりがあって、ごく自然にシトエたちは菊池のグループと合流した。


彼ら全員、この前のパーティーに来ていたらしい。


初めて、菊池の名前を知り、シトエの近所に住んでいて歯医者をしていることも知った。


菊池が歯医者をしていることを聞くと、なぜか大きく口を開いて笑えなくなる。


シトエは自分の八重歯が嫌いだったから。


彼らの話は、政治から音楽、スポーツとかなり広い範囲に渡り、テンポもよくて楽しかった。


みんな何らかの企業の経営者だったこともあるからだろうか、ものの見方が面白かった。


ビアガーデンの後、ごく自然に男たちとバーに向かっていた。

15 恋に落ちないで2

ame1


シトエは、パーティーの会場で彼を待っていた。


今夜、この場所で会おうと約束していた。


もう2杯目のギムレットがなくなりかけている。


にぎやかな周りのおしゃべりも、今夜の彼女の耳には入らない。


「もしかしたら彼は、もう来ないのかもしれない。


いくじなし・・・・・・。」


隣でシガーをくゆらせている男と目が合う。


シトエがたまに行くバーのマスターだった。


「君にはエメラルドの石が似合いそうだね。」


彼は急にシトエの右手を取って眺めた。


「エメラルドは好きだわ。と言っても持ってないけど。


だって高価だし、ひびが入って割れるものが多いって聞くでしょ?」


「確かにエメラルドは割れやすいよ。いや、ほとんどヒビガ入ってると言ってもいい。


だけど頑丈なダイヤよりも魅力的な輝きをしている。だから、君に似合う。」


「あなたはわたしをくどいてる?」


「いや、そうじゃなくて前から思ってたから、今夜言いたくなっただけだよ。」


彼は一人で寂しそうにカクテルグラスを持っているシトエに気を使ってくれたのだろう。


シトエのトゲトゲした心も、諦めの気持ちと共に平常心を思い出し始めていた。




今朝、彼の妻からシトエのところに電話があった。


なんでも、彼のアドレス帳から彼女の電話番号をみつけたらしい。


そして、彼に近づかないでくれということだった。


手帳の中のたくさんある女のアドレスから、どうしてシトエに命中させたのかはわからない。


アドレス全てに同じことを言ってるのかもしれない。


彼は自分の妻がそんなことをしているのを知っているのだろうか?

それにしても、彼からは何も言ってはこなかった。


ちょうど今夜、ここで会う約束をしていたから言い訳を聞けるのかと思っていたのに、それもしないの。


自分たちの関係ってそんなものだったのか、と思うと笑えてくる。


大した恋も始まってはいなかったのに、もうエンディングが来てしまった。


シトエは3杯目にジンライムを頼む。


ビクターラズロの熱く甘い歌が、今夜は空しい。


いけないことをして叱られた子どもの頃を思い出していた。




14 恋に落ちないで

ジュリア

シトエは高見の、オイルサーディン丼をおいしそうに食べる姿を見て好ましく思う。


食べてる姿がイイ男が好きなのだ。


彼の指は、細くてしなやかで、こちらもシトエは気に入っている。


キーボードをはじいている高見の指はギタリストのそれにも似てセクシー。


だから、お箸を持つ指の動きが気になる。


滑らかで優雅な動きが、彼の食べる姿を美しく見せてるんだろう。


あの指で触れられたい。


どんな優しさで、わたしの肌の上を走るのかしら?


自分の背中をピアノでも弾くかのように走る高見の指が頭をよぎる。


おいしそうに、ひたむきにわたしを無視して食べてるからいけないんだわ。


自分の少し淫らな想像を、高見のせいにした。


ブラケットライトのオレンジの灯りで、シトエの表情はいつもよりも優しい。


仕事の時の厳しい表情とは全く変わって、意外としなやかなイメージなんだ。


化粧が少しとれたくらいのほうが、彼女はきれいだ。


「シトエさん、今は恋ししてないんですか?」


「恋はしたくないわ。でも、恋には突然落ちてしまうかも。


そっちこそ、どうよ。奥さんとは、まだうまくいってないの?」


「たぶん、別れるしかないと思います。


二人でいても寂しいから、一人でいるほうがいい。」


「そう。それはそうね。あとは、きっかけか。」


「シトエさんの言うように、恋に落ちれば弾みつきますかね。」


「そんな風にするための恋なら、恋に落ちないで。」


何を言ってるんだろうかと言ってしまって、シトエは少し後悔する。


昔の痛い恋の思い出が、またうずき始めている。






13 めくれたページ2

iruka


2杯目のワインが、もう半分ほど終わりかけている。


窓から入ってくるジャスミンの甘い香の中で、カオリは目を閉じていた。


「僕にも飲ませて。」


一色がカオリの肩に左手を置いた。


カオリはその手を左手で触れて、自分の鎖骨に導く。


「どうぞ。チーズもいかが?」


テーブルのもう一つのグラスにワインを注ぐ。


一色はカオリのそばにあった椅子に裸のまま座る。


前髪が眉の上にかかり、いつもより幼い表情に見える。


「寒くないの?」


「ちょっとだけ寒いよ。


でも男がバスタオル巻いてる姿はいただけないでしょ。」


「確かにね。あまり見たくないかも。」


「カオリさん。さっき、何か考えていた?」


「来年の今頃、わたしたちは何をしているかしらって思ったの。」


「一緒じゃないのかな?」


「たぶん違うような気がしたの。今一瞬そう感じたわ。」


「来年のカオリさんをみつめていたいよ。」


「それじゃあ、キレイでいないといけないわね。そして艶っぽく。」


「大丈夫でしょ?」


「あなたが愛してくれていたら・・・・・・」


カオリは一色の喉仏から下に指を這わせていく。


「もう少し愛してくれる?」


「ワインをもう1杯飲んでから。」


カオリは自分の白いガウンの紐をゆっくりとほどいていった。

12 めくれたページ

hikari

充分にお互いを確かめ合ったあと、カオリは裸のままで、テーブルの上のワイングラスを手に取ると


大理石の床に右の頬をつけて、軽く眠っているかのような一色の背中を撫でる。


彼はたぶん疲れてなんかはいないだろう。


もしも、そう、もしもカオリが


「もう1戦どう?」なんて問いかければ、充分に堪えてくれるはずだ。


そう、彼は若いから。


カオリはトスカーナの力強い赤ワインの香を楽しみながら、一色の背中をみつめていた。


ふと、自分の腰から手を滑らせて、脇のラインをたどる。


一色の好きな『くびれ』。


オンナに女を感じるのは、体の『くびれ』だと彼は言う。


ダイニングテーブルに座って2杯目のワインを注いだ。


銀色の月が輝いている。


来年の今を二人はどんな風に過ごしているのかしら?と考えた。


たぶん、一緒にはいない気がする。


そんな予感がするだけ。


この小説には続きはないの。


だから、今はページをめくりたくない。


一色が目を覚ますまでみつめていたい。


それでも、風邪をひかないように、そろそろ一色を起こさないといけない。


その前にガウンを引っ掛けてこようと思った。


そして軽くルージュをひいて・・・・・・。



11 「STING」は甘く苦く染透る

sting

シトエの部屋は繁華街から歩いて5分ほどのところのマンションだった。


清清しい香はアロマランプのジェニパーの香。


甘いラベンダーでないところがシトエらしい。


必要最低限のものしか置かれてないさっぱりと整理されたリビングに


対面式のカウンターがあるキッチンとがつながった1LDKのスタイル。


白い壁にライトで表示されるユニークな時計の数字が1時を過ぎている。


「そのソファーにでも座ってて。」


リビングにある黒い革張りのソファーに高見は腰掛けた。


クッションと奥行きのサイズが心地いい。


いけない、眠ってしまいそうだと高見は思う。


シトエは冷蔵庫を開いて、ねぎを取り出して手際よく切り刻んだ。


キッチンの後ろの食器棚からオイルサーディンの缶詰を二つ取り出すと


フライパンを火にかけて、中身はそのまま入れた。


しばらくして、香ばしく焼けてきたら裏返して軽く焦げ目をつけたら醤油をたらす。


味が全体にからんだら丼にもった白いご飯の上にのっけて刻んだねぎを乗せる。


一味唐辛子を好みで振り掛ければOKだ。


醤油の焼けた香が食欲をそそる。


テーブルにオイルサーディン丼のセットをした後で、シトエは冷蔵庫から「STING」を持ってきた。


「これ最近気に入ってるの。飲む?」


深みのあるgreenをした缶の色とロゴのデザインはどちらかというと男っぽい。


一口飲むと、グレープフルーツの苦味が快く広がった。


「アロマメール製法っていうらしいよ。この苦味、癖になるでしょ?」


オイルサーディンとSTINGは思いの他、よく合う。


苦味の後でフルーツの優しい甘さも感じれて、なんだろう?恋の味?


「どう?わたしのオイルサーディン丼?元気になった?」


「かなりいい感じです。落とされそうです。ついでにSTINGにもはまりそう。」


「わたしには、落とされないのよね。」


「落としてもいいんですか?」


「うそ、うそ。仕事にSEXは持ち込まないの。」


STINGの缶を右手で上げて、シトエはウィンクをした。


あ~、またクラクラしそうだ。

10 初夏の風に吹かれて

アユミと徳永は、日付が明日に変わってすぐに涼香を後にした。


アユミは、この店の名前の涼香という文字が好きだ。


涼しい香=凛とした女性。


そんなオンナでいたい、と思っている。


だから徳永とも一定の距離を持って付き合っている。


彼が明日どこへ行って何をしているかとか、何をしてきたのか、なんて聞かない。


近づきすぎると色あせる恋をたくさん知っている。


今はそうね、だんだん色が見えてきた感じかな?


二人はお城の堀端を歩いていた。


ライトアップされた天守閣の前で、立ち止まる。


海の香がする涼しい風が吹いていた。


徳永の肩にもたれて目を閉じて風を感じる。


「海の香は、あなたの香と似ている。」


「どこの海なのかな?」


「太平洋のアタタカイ島の蒼い海。」


「二人で行きたいね。」


「小さな砂浜でいいの。海外でなくてもいいわ。ただ風に吹かれていたい。」


「ちょっと疲れてる?」


「少し。でも、あなたと会えたから、少しまた元気をもらった。」


二人の後ろで、魚が跳ねた。


かわいい小さな水の音がする。


徳永は黙って、アユミを引き寄せてキスをした。



9. 少しだけ愛して

アユミは家に帰ると急いでシャワーを浴びた。


白いバスタオルを巻きつけたままで、クローゼットに向かう。


黒地に白のストライプの入ったザラのストレッチの効いたシャツを選ぶ。


ボトムはカフェオレ色のタイトスカート。


それにステファンケリアンのシンプルな黒のパンプスを合わせた。


バッグは対象的に赤。


Joyを足首に少しだけ香らせる。


タクシー会社に15分後に来るように予約を入れる。


疲れていたはずなのに、アユミの瞳はイキイキしていた。


頬も心なしか、少し薔薇色。


アユミは徳永に恋をしていると確信する。


涼香までとタクシーの運転手に伝えて、少し目を閉じた。


1時間だけでも、彼といられたら。


彼の手の暖かさを感じられたら。


それだけで、今の自分は満たされる。


カウンターに座って、すでに徳永はお気に入りの地酒を熱燗で飲んでいた。


ジャズの流れる居酒屋で、6人座ればいっぱいのカウンターと8人ほどしか座れない小上がり席。


カウンターの向こうでは、マスターが忙しそうに働いている。


アナゴの白焼きの香がいい。


「やっと会えたね。」


徳永はこの前会った時より、また一段と日に焼けている。


「明日から工事に入るの。また、会えなくなる。」


「だから今夜は元気つけて、アナゴもおいしそうに焼けてるよ。」


アユミは冷酒をもらって、わさび醤油でアナゴを食べる。


徳永は、そんな彼女のおいしそうで幸せな顔をみつめていた。


美味しいと感じているとき、彼女は無防備でかわいく見えることを知っている。


ずっと今夜は二人でいたい。


無理だから、余計にそう思っていた。