J'adore -24ページ目

予感3


彼女は自分の名前がアナウンスされたことに驚いた。ちょうど今、ルームランナーで30分ほど汗を流して、水着に着替えようとしていた所だったから。あわててスポーツジムの受付へ行き電話を取る。
「今夜8時、いつものホテルのバーで待ってる」
「それだけ?」
「うん。急用はそれだけ。」
「わかった。けど今から泳ぐから髪乾かしてメークすると少し遅れると思う。」
「そうだね。ビールでも飲みながら待ってるよ」
受付の女の子と目が合う。大した用事ではないのに、こんなとこまで電話してきてと少し腹が立つ。携帯電話はロッカーの中だからかしら?自分のリズムが乱れることを彼女は好まない。汗をかいた後なので、少し寒い。早くサウナに入りたい。その前に1000メートルクロールで泳がなくては。
土曜日の午後は以外にもプールの利用者は少ない。1レーン貸切のようなものだ。ゴーグルをかけて、ゆっくりとクロールで泳ぐ。彼女の泳ぎはしなやかで優しい。天井のトップライトから入る自然光が水中で美しい模様を描く。水の中にできるいくつものラインを追いかけるように泳ぐ。何も考えられない、この時間が好き。
サウナで体を温めたあと、簡単にシャワーを浴びた。シンプルにメークをすませる。今日はまるで浴衣のような生地でできた藍色のワンピースを着ていた。ダブルのボタンになっていて、涼しい着心地だ。素足にパンプスを履く。仕上げに足首へオードパルファンをひと吹き。今日はラルフローレンのサファリ。暑い夏にはピッタリのたくましい甘さのある香。
彼女はルノーサンクをホテルの駐車場に泊めた。今日はお酒は飲まない日。たまにはアルコールを抜かなくては。
赤いセカンドバッグを持ち、ホテルのバーに急いだ。8時半になっている。だけど今夜の待ち合わせはいつもより早い。
「今日はエビアン。」
「なんだ。飲まないの?」
「だって車で来ているもの」
「そうか。じゃ仕方ないね。どう?ルノーは調子いい?」
「うん。オーバーヒートしてラジエーター変えたでしょ。あれからはご機嫌いいわ」
彼女のルノーはもう2回ほど、オーバーヒートしていた。それでもかわいくて、修理して乗り続けている。この暑いのにルノーのためにエアコンはつけない。
「ルノーに無理させたくないの」と彼女は言う。
彼女の車に乗るときはエアコンなしの暑さをがまんしなくてはいけない。それも涼しげな顔をして乗っていなくてはいけないのだから、汗かきの彼には苦痛だ。だから、彼女のルノーに最近は乗ってない。
「ねえ今夜は何?珍しいわ」
「どうしても会いたくて。」
そう言って、彼はカウンターの下で彼女の小指を握り締める。
その日、彼の仕事は意外なくらい早く終わった。商談の予定がキャンセルになって時間が空いた。そうしたら急に彼女に会いたくなった。彼女が彼の腕の中で目を閉じているのを思い浮かべた。そして白い肌も。
「部屋取ってるんだ。」
「今夜は1キロも泳いだから疲れてる。」
「それじゃ疲れない程度に。」
彼女は正直なおねだりに弱い。この人はいつもストレート。

部屋に入るなりサウナに入ったせいか、汗が出てくるのを感じて彼女はシャワーを浴びた。シャワーの水の音が気持ちいい。
不意に後ろから抱きしめられる。
「待っていられなくて」
彼は彼女を振り向かせてキスする。シャワーの水で二人とも頭の先からぬれている。
「ねえ、ぬれちゃう」
「どこが?ここ?」
「意地悪」
彼女の敏感な部分に彼の指が触れる。
「こんなのは初めて。でも悪くない。」
水に打たれながら、彼女は自分を忘れそうになっている。知らないうちに彼の背中に爪を立てていた。
「いいの?」
「うん。わたしの中に今すぐ入ってきて」
彼が彼女の中に入ると、彼女は喉をのけぞらせて頭を振る。まるでイヤイヤをするように目を閉じて眉間にしわを寄せて。絶頂に達しようとした後、彼の足に自分の足を絡めて余韻を楽しむ。彼はゆっくりとしたスピードで彼女をあやすように動く。まるでさざなみのように快感が去っていく。
「好きだよ」
彼の言葉が呪文のように聞こえていた。

雨の匂いのする街5

壁に組み込まれた大きな水槽では2匹のブラックアロワナがピンク色のウロコを光らせて優雅に泳ぐ。泳ぐたびにうろこの根元の桜色した部分が見える。なぜだか、ドキッとする。
この魚は神経質だというのに、特別大きい水槽に入れているせいか仲良くやっているみたいだ。マスターが彼らの主食の冷凍赤虫を水草に絡めてそっと落とす。下に落ちてしまったものは決して食べようとしない。
「相変わらず、わがままなのね」
わたしに似ている。人のことなんか気にしないで、自分らしく泳ぐアロワナたち。そういうとこが好きよ。
彼女は一人でこのカウンターに座ってアロワナを見ていると落ち着く。
高いカウンターがしつらえてあり、立って飲むための背の高い丸いテーブルが3つほどしかない。ガラスでできた床の部分に埋め込まれたライトがフロアをセクシーな舞台のように感じさせる。何もない広いスペース。壊れかけのようにわざと細工してあるスチールのデコラティブな椅子が3脚。誰かに座ってもらうのを待っているようだ。
「いつものジンライム」
マスターはゴードンのジンを棚から下ろす。ビフィーターを好む客が多いのに、なぜか彼女はゴードンオンリー。大き目の氷を入れてジンを45ml。ステアしてフレッシュライム2分の1個分。ライムのグリーンが美しい。
「今夜は一人?」
「たぶん」
「ねえビクターラズロかけてくれないかな~」
ロックグラスを手に彼女はフロアの真ん中に立った。
「踊ろうよ」
ジンライムの氷が大きく音を立てて解けていく。もう半分以上空っぽのグラス。天井にかざしながらターンする。
「今夜は誰も来そうにないね。踊ろう」
マスターの背は思ったより高い。今夜は赤いチエックのスーツ。シャツは薄いイエロー。シルクの黒いサッシュベルトをして蝶ネクタイをしている。彼のダンスのリードはとても優雅だった。蝶になったかのように軽く彼女を躍らせる。
彼女は知っていた。彼はゲイで、男にしか性的興味は示さない。だから、つい甘えてしまう。こんな風につらいときに胸を貸してくれる友人はいない。今夜も、いつのまにか彼女は、男の肩にもたれて泣いていた。
「なんとか彼を嫌いになろうと思うけどダメなの。プライドもなくなりそうに愛し始めてるの。」
「本気で好きになったの?」
「そうみたい。悲しいけど」
「終わるまで恋すればいい。」
この人がゲイでなければいいのに。そうしたら、わたしは間違いなく好きになっているはず。でも望めないこと。
マスターはもうすぐニューヨークヘ行くと言っていた。しばらく帰らないらしい。この店もなくなる。
たぶん向こうには、本当の恋人(男)が待っているのだろう。今夜のダンスが最後になるかもしれない。こうやって、涙が乾くまで胸を貸してもらえるのもラスト?
ビクターラズロのアルバムが終わった。
アロワナと目が合う。マスターとわたしのダンスをうらやんでいるの?まさか。
彼女の携帯が鳴った。今まで涙だったのに、何かを期待しているかのように目が輝く。
「今からでも会いたい」

予感2(だから男ってやつは。。。。。)


彼女は今朝から微熱に悩まされていた。風邪をひいたのかもしれない。
夕べは仕事のプランニングで夜中まで事務所で図面を引いていた。小さなエステのプランニングを任されていた。施主は彼女より少し年上で離婚して小さい女の子が一人いる女性。彼女の再出発となる店だ。H鋼を飾り柱にした内装にしてアールの壁を作る。クロスの上にイタリア製のペンキで陰影をつけて、照明はハロゲンと鏡の周りには女性の顔を優しく見せるリネストラランプを使う。大体の構想はできていた。後は図面だけ。あと3日で仕上げたい。
そんな中で週末に事務所を休むわけだから、ちょっと無理をしてしまった。でも、なんとか月曜の打ち合わせには間に合いそうだった。
「どうしたの?パエリアは大好きじゃなかったっけ?」
そう、彼女はスペイン料理が好きで、特にパエリアは大好物。ムール貝の香が好きなのだ。でも、今日は食が進まない。食前酒として注文したティオペペのシェリーも半分しか減ってない。鹿のカルパッチョも手付かずのままで残されている。
「ごめんなさい。なんだか熱があるみたい。」
「大丈夫?そういえば顔が少し赤い」
彼が彼女のオデコに手を当てる。ほんとに熱い。これはいけない。お酒も飲んでいないのに目がうるんでいる。それなのに、こんな風に連れ出してしまった。旅行に行くと家には言っているから帰れないだろう。
レストランの階段を降りるとき、彼女はふらついて彼によりかかった。本当に歩くのもやっとのようだ。
「ごめんなさい。」
「いいよ。腕につかまっていて」
やっとのことで車に乗った彼女は、今夜の外泊を少し後悔した。彼に悪い。こんなんじゃ、もちろん彼の要求を満たすことはできないから。早く横になりたい。
「これプレゼント」
彼は用意してきたカサブランカの花束を差し出す。強く甘い香がミニの中を満たす。白い花が2輪。一つは8部咲きで、もう一輪はつぼみ。
「カサブランカね、凛としているわ。いい香」
「それとこれ。君に似合うと思うから。今度つけて来て。」
小さい包みを彼女に渡す。そう、クリームイエローのガーターベルト。彼の友人がやっている趣味のいいランジェリーショップで選んできた。
彼女は花束をひざに置いて、小さい包みをほどく。中から出てきたガーターベルトを見て、彼を振り返る。
「今夜は紫のガーターベルトなの。次はこれにするわね」
そう言って、外からは見えないように赤いスカートを少し上げると紫とはいってもワインがかったレースのガーターベルトが見えた。ストッキングがえらく輝いている。ほんの1秒ほどで、彼女はスカートを前のように下ろす。表情はいつもと同じ。クール。白いシルクのブラウスの胸元が熱のせいか赤い。
だめだ。彼は思った。彼女は熱があるというのに、興奮している。彼女を抱きたいんだ。だから、男ってやつは勝手なんだ。欲求には勝てない。この欲求をどう処理しようかと、彼は悩んでいた。
部屋に入るなり、彼女はベッドに横たわる。ほんとに起きていられない。お化粧を落としたいけど、それもだめ。バックベルトのハイヒールだけ脱ごうとするが、片一方がなかなか脱げない。
「ねえ、裸にだけなってくれる。暖房強くするから」
彼はどうしても彼女の肌を感じたいと思う。今夜はそれだけでいい。
「でも自分では脱げないの。ほんとにだるくて」
そう言って、彼女は片手を上げた。
「任せておいて。脱がせるのは上手だよ」
いつのまにかシルクのブラウスは消えていた。そのうち裸にされたまま、彼女は軽い眠りに入っている。さっき飲んだ薬が効いているようだ。
彼女を抱きしめて、大好きな胸に顔をうずめ、乳首を吸う。そっと手を彼女の敏感な部分に伸ばす。十分に感じているよう。
今まで眠っていたかのような彼女が彼の首に手を回した。
「キスして。でも今夜はそれだけ。」
「いいよ。ガマンする。」
「朝になったら元気になるかもしれないから」
彼は明日の朝、彼女の熱が下がればいいと思った。SEXしたいからか?そうじゃないと言いたいけど、生理的欲求が違うと訴えている。今夜はガマン、ガマン。男の子だからガマンしないといけないさ。
軽い寝息を立て始めた彼女に毛布をかけた。
「今夜はこれ以上何もしないよ」
カサブランカの香が部屋を満たしていた。
「明日はつぼみが開くかもしれない」
そう言いながら、彼は浴室へ行く。シャワーを浴びて眠ろう。冷蔵庫にビールがあったはずだ。明日の朝に期待して、乾杯だ。



予感


彼女はセンターライン越しに向こう側を走る運転手の顔が見えるのに自然に慣れていた。はじめはなんだか右側が助手席というのが落ち着かなかったのに。

彼は彼女と付き合い始めてからミニクーパーを買った。ソリッドなブルーの中古だったが、凝り性の彼はインターネットでパーツを買ってはミニを自分らしくチューンアップした。いつのまにか彼女もそのミニクーパーをペットのようにかわいく思えている。
二人でミニに乗るときは音楽はかけない。ミニのエンジンの音を楽しむ。日によってご機嫌が違う。

「この子は雨の日は機嫌が悪いのね」
雨のドライブは時々、ミニのエンストで中断されるのだった。
ライトを消してミニを休ませる。もしかしたら、このまま動かないかも?と彼女は不安に思う。雨は激しく降り続ける。
「このまま二人でいたいよ」
彼は本当にそう思っていた。隣の彼女の手を握り締める。指先が冷たい。
「寒い?」
「そうでもない。」
ライトもない郊外の一車線の道路。通る車もほとんどない。
「キスしようか」
静かだった。雨は少し小降りになっている。ミニのエンジンをかける。どうやら元気になったらしい。
「今夜は帰ろうか」
「そうね」
帰る、という言葉が悲しいと彼女は思った。二人は別々のところへ帰る。今まで何にもなかったかのように、彼はわたしとは違う人の横で眠るのだろう。
「妻とはもう何年もSEXしてないんだよ。」
いつか彼はそう言った。
「だけどパートナーなんだ。」
パートナー?彼の人生に必要な人のこと?わたしは一部でしかない。そして、わたしも彼のパートナーになろうとは思っていない。今が楽しいから?心地よいから?
「週末は一緒に過ごそうよ。」
「朝はゆっくりできるホテルにしてね。」
「わかってる。」

彼女が朝のSEXを好むことも彼は知っている。朝陽が昇りかけた光の中でカーテンを開けてするのが一番好きだと言った。ホテルの部屋に新聞が差し込まれる気配を感じながらお互いを確認しあう。そんなとき、余計に彼女は声を上げる。
「イッちゃった。もうダメ」
「許さないよ。一人でイッたら。」
目を閉じて休もうとしている彼女を彼は攻めたくなるのだった。

もうすぐ彼女の家のそばだった。雨はほとんど止んでいる。
「お休み」

彼女を下ろしてから、窓を全快にしてミニを走らせる。この車は彼専用だったが、彼女の香を残さないため。そんなことに気を使う自分が少しイヤになっていたが、それも夫婦生活のマナーだと言い聞かせる。

週末の小旅行のとき、彼女に花束を贈ろうと思う。カサブランカの花がいい。香りのいい花だ。1本だけにしよう。1本に二つの花をつけたのがいい。シンプルな花束にしてもらおう。花束と一緒にガーターベルトも贈ろう。淡いクリームイエローのものがいい。彼女には似あうはずだ。
彼は週末を思い微笑んだ。

雨の匂いのする街4


「まるで真珠の首飾りがちぎれて落ちていくみたい」
彼女は一人つぶやく。
彼女のちょうど目線にJRの高架があり、ちょうど下りの電車が走っていった。電車の窓の灯りが小さく見えて円を描いて、女性の細い首から真珠が落ちていくようだと思う。
ここのホテルのバーは彼女が好きな場所。若いけど心得たバーテンダーが、好みに合わせたカクテルをいいタイミングで出してくれる。たとえ誰と来ても詮索しようとしない。かといって冷たくもない応対が心地よい。彼女は、ギムレットを飲んでいた。真夏の暑さの中、よく冷えたバーで飲むギムレットは格別。翡翠色の液体が一層涼しげに感じさせる。
「もう10時半」
1杯目のギムレットは終わろうとしていた。彼との約束は10時。1時間は待てない。こんなときに飲みたいのはネグローニ。ベルモットの甘さとジンとカンパリの苦い味が大人の恋を感じさせる。やや褐色の夕日のイメージ。本当は好きな味ではない。
「遅くなってごめん。」
顔をしかめながら、ネグローニを飲もうとしたとき、彼が隣に座った。45分の遅刻。
「ずいぶん待った?客が店から帰らなくて電話もできなかったんだ。本当に焦ったよ。でも、いてくれてよかった。」
「1時間は待たないつもりでした。」
彼の笑顔を見ると怒るのも忘れてしまう。なぜか、彼といると自然でいられる。優しくなれる自分を感じている。
「ねえ後ろ向いて」
「髪の毛をちょっと手で上に上げてくれる」
言われるままにすると、首にひやりとする感覚があった。プラチナのペンダント。ハートのモチーフ。小さいかわいいハートが揺れる。
「これ、かわいい」
彼女の真っ白でシンプルなワンピースの胸元にそれはよく似合った。
「この前のおわび」
彼が耳元でささやく。
「おわびって?」
「最後までできなかったから。男の子じゃなかったからね。」
この前の夜のことを思い出した。そうだった。わたしたち、一つになれなかったっけ。彼の腕の中1時間ほど眠った。
「男の子は女の子のために頑張らないと」
冗談のように言って、彼が笑った。
今夜の彼はウソのように派手なアロハシャツを着ている。昔の着物で作っているという。どこかなまめかしく下手すると下品だが、日に焼けた真っ黒な肌にはよく映える。たぶんシルクは冷たく気持ちいいだろう。前よりもまた日に焼けたようだ。いったい何の仕事かしら?
「何を考えていた?」
「あなたって普段は何をしているんだろうと思って」
「今度連れて行くよ」
彼はビールをおいしそうに飲んだ。今夜はこのホテルに部屋を取ってある。夜景がきれいなダブルの部屋だ。エアコンは入れて部屋の温度も快適にしてある。ただし、彼女がOKしてくれるかどうかは別だが。今夜はビールは1杯だけにしよう。そうでないとまた前のようになるといけないから。こんなときだけは自分の年齢を意識する。
「ねえ、帰ろうか」
「そうですね。ご馳走様」
「敬語はやめてくれないかな~。よそよそしいよ」
そう言いながらも、ちゃんとしつけられた感じが出ていて、やはり好ましいと思うのだった。
二人はエレベーターに乗る。彼が15階のボタンを押した。
彼女は何も言わず、鍵を開ける音を聞いていた。
「どうぞ」
彼女から先に入る。よく冷えた空気が気持ちいい。レースのカーテン越しに控えめな夜景が見える。窓ガラスに白いワンピース姿の彼女が少し不安そうに映っていた。ハートのペンダントが光る。
背中のファスナーが下ろされる音がした。後ろは振り返らない。背中から首元に彼の唇を感じる。床に彼女のワンピースが広がった。今夜の彼女は薄い、まるでセミの抜け殻のような生地でできた水色のテディを着ていた。それも肩からすべり落ちる。いつのまにか彼女を覆っていたものはなくなっている。
立ったまま二人は抱き合い、口づけをした。彼のシャツの冷たさが気持ちいい。
「男の人の体って熱いのね」
彼の胸に手をあてて彼女が言う。
「君といるからだよ」
ダブルベッドにそのまま倒れこむ。
「今夜はひとつになりたい。いいかな?」
「Noとは言わない」
彼女が微笑んだ。共犯者のように。


おはようで終わった。


「来月、一緒に上海へ行こう」
「何のために?」
「蟹を食べに」
彼はグルメで有名だった。料理をさせたら、プロよりうまいという評判だった。彼女はまだ彼の料理を食べたことはない。博多ラーメンは博多で、ジンギスカンは札幌でと本物の味しか許せないという。本当に飛行機で行って、その日のうちに帰ってくる。彼女はそこまで食べ物に興味はない。
「蟹はいいわ。パス。手が汚れるから好きじゃないの」
「おいしいのにな~」
そこはホテルの一室。昨夜から一睡もしていない。もちろん、二人とも裸でひとつのベッドにいる。もうすぐ、朝だ。何回、愛し合ったのだろう。今も蟹の話をしながら、彼の手は彼女の体の上を彷徨っている。もういいのに、と思いつつ反応してしまうから不思議。
「ねえ結婚しよう」
「したくない」
「そんなこと言わないで。一緒に暮らそう」
たった二度、夜を過ごしただけで、結婚しようだなんてこの人はどうかしてると彼女は思う。どう考えても、彼とは価値観が違いすぎる。この人と一日中一緒にいることは無理だろう。たまに会うのなら面白いかもしれないけど。それに一晩中眠らせてくれないのも困る。今朝はたぶん、目の下にクマができているだろう。
彼女は真っ赤なフレンチスリーブのワンピースを着ていた。真夏なのに白い肌によく似合う。長い髪にブラシをあてながら鏡を覗き込む。
「やっぱりクマができている」
彼女は小さくため息をついた。
彼はラルフローレンのきれいな水色のシャツを着ていた。いつまでもそういう学生のような服装がなぜか似合う男。
ホテルを出た二人に朝の光はまぶしすぎる。
「焼きたてのパンを買いましょう」
彼女が提案した。朝6時、あそこのパン屋は開いているはず。
彼女が思っていたパン屋。彼女はそこのフランスパンが好きだ。
「ねえ、ここのバゲットはおいしいのよ」
「じゃ僕も買ってみようか」
彼が二人分、2本の小さめのバゲットとパックに入ったコーヒーを買った。
彼はここのパンは食べたことがない。一口かじってみる。柔らかい。フランスパンにしては甘いし、生地がふわふわしすぎている。これは、フランスパンではないと思った。
「よくないね、このパン」
思ったとおり。彼とは趣味が合わない。わたしが好きなものをおいしいとは言ってくれない。もう会わなくてもいい。
「ねえ、おはようって言ってなかったね。ずっと起きてたから」
彼が彼女にコーヒーを渡しながら照れたように微笑んだ。
あなたが眠らせてくれなかったんじゃない。心の中で思いながら、少しだけの笑顔を作ってみせる。
「おはよう。今日も夏ね」
たぶん彼とはもう会わないだろう。体を重ねることもない。彼の料理を一度くらい食べてみたかったな、残念。
今日は暑くなりそうだ。家に帰ったらプールへ泳ぎに行こう。1キロ一気に泳いだら、彼のことは忘れよう。

雨の匂いのする街3


「今夜は君を抱きたい」
彼の突然の言葉にも彼女は驚かなかった。
今夜は彼と出会って3回目。初めて会ったのは、お互いが行きつけのバーで偶然に隣同士になったとき。彼の白い歯と太陽のように愉快に笑うところが彼女は気に入った。10歳以上の年の開きを感じさせない不思議な感覚。もちろん結婚しているだろうけど。
「明日のお昼は一緒にスパゲッティを食べよう。おいしい店があるんだ。」
彼は彼女の答えを聞く前に決めてしまっていた。この女(ひと)と昼ご飯を食べたい。そうしないと彼女とのきっかけはゼロになってしまう。この女(ひと)がおいしそうにスパゲッティを食べる所をみつめたい。たとえ、このバーで楽しい時間を過ごすことができても、これっきりで会えなくなる。彼は彼女に一目ぼれしていた。彼には妻子がいる。彼は恋していた、初めてあった瞬間に。
イタリアンの店に到着すると彼がシェフと談笑していた。かわいい小さなお店で太ったシェフが狭そうなオープンキッチンで忙しくフライパンを扱う。彼女はサービスのサラダをシェフ特製ドレッシングをたっぷりとかけて食べた後、おすすめのカルボナーラも平らげる。デザートにはしょうがのシャーベット。
「こんなにしっかりお昼をとったのは久しぶり」
食後のエスプレッソを飲みながら、彼女が言う。
「そう、その笑顔が見たかった」
彼はおいしいそうに食べる彼女を見るだけで幸せに感じていた。どうしてなんだろう。もっと一緒にいたい。もっとたくさんの彼女の表情が見たい。
「あの、お聞きしていいですか?」
彼女はナプキンで口をぬぐった後、改まった口調で質問する。
「どうぞ」
「あなたは結婚されてますか?」
「妻子は、います」
「はい、わかりました。正直でいいわ」
彼をみつめて彼女は楽しそうに笑った。
「わたしウソをつく人が嫌いなんです。だから、あなたは合格」
彼はほんとはためらっていた。彼の左手には指輪はない。うそをつこうと思えば可能だったから。仕事柄、独身のように自由でいられるせいか、彼には生活感もない。しかし彼女にうそをついて付き合えないと感じた。それだけオレは真剣なのか。
「また会ってもらえますか?」
「ええ。お時間が合えば」
そして今夜、その約束どおりに彼と彼女は出会ってから3回目の夜。住んでいる街から1時間ほどドライブして、評判の和食の店で夕食をした。モダンなしかけのある華やかな料理が彼女には新鮮で、一緒に飲むワインも進む。
この人はワインを飲むといい香りになる。彼は彼女の体臭と香水とワインの香が交じり合って変化していくのを知った。そして、それは彼の心と体を刺激する。
「久しぶりにワインたくさん飲んじゃった。」
店を出て車のあるところまで行くまでに、彼女が何気なく彼の腕をとり自分の腕をからめる。ワインのいい香がする。
彼の4WDの振動が心地よい。ボサノヴァがかかっている。小野リサ?初夏を迎えようとしている海岸線にはオレンジの花の香がする。彼女は予感していた。このまま家には帰れないだろうと。そして、自分もそれを望んでいる。
「あなたがほしい」
彼がもう一度言った。
「いいわ」
内心、彼はドキドキしていた。もし断られたら、彼女とはもう会えないだろうから。でも、どうしても彼女を抱きたいと思っていたからガマンはしないと決めたのだ。
部屋に入るなり、彼女はいきなり服を脱ぎはじめた。脱ぎっぷりがいい。想像していたよりも白い肌で、洋服を着ていたときよりも細くしまっている。最後にレースのオレンジ色のショーツをとって彼女が振り返る。
「お風呂、一緒に入りますか?」
こどものように無邪気に誘う。なんなんだ、この女(ひと)は。
彼女は軽い足取りでバスルームに消えた。あわてて彼も身につけていたものを全て脱いで、彼女の後を追う。靴下が足にからまってなかなか脱げない。俺はだまされているのか?
円形の浴槽の中で、ジャグジーを使って彼女は目を閉じていた。別に遊びなれているわけでもなさそうだ。だけど何なのだろう。不思議に落ち着いてるぞ、この女(ひと)は。
「どうぞ」
彼女が隣にと誘う。柔らかい肌が彼に触れる。彼は自然に彼女の後ろに回って彼女を抱っこするような形をとった。彼女の豊かな胸を両手で覆う。乳首が緊張して固くなっていた。
「胸きれいだね。うれしいよ、君とこうしていられて」
「ありがとう。」
彼はたまらな愛おしくなって、彼女の瞼に口づけをした。とてもかわいいと思う。彼の唇が彼女の唇に重なった。ジャグジーの泡の中、彼女が沈みそうになる。長い髪がぬれそうになって慌てて起き上がった。
「のぼせそうだわ。お部屋に戻りましょう」
彼の手をとり立ち上がって、向き合った。何にも身につけていないお互いをみつめる。そして浴槽の真ん中で抱き合った。今度は彼が彼女の手を取りベッドまで連れて行く。バスタオルで体をふくのも忘れて、愛し合った。彼女の声と苦しそうな表情がよけいに彼を興奮させた。しかし、なぜだかインサートできなかった。
「ごめん。最後までできない。うれしくて興奮しすぎたみたい」
「いいの。気持ちよかったから」
「本当に?」
「うん。少しだけ腕枕して」
彼は彼女を思いっきり抱きしめる。やっぱりかわいい。この人が好きだ。この体も大好きだ。
彼に抱かれながら、彼女は考えていた。次はいつかしら?

雨の匂いのする街2


外の雨音が少しだけ聞こえる。彼女は彼の腕に抱かれたまま、柔らかいリズムでガラス窓をたたく雨の音を楽しんでいた。昨夜の愛の行為の後の快い疲れが、彼女を優しくさせている。けだるさの残る目元が少し表情を幼くさせてかわいい、と彼は思う。いつもの冷たそうな彼女が、このときだけは彼に少し甘えてくれるのもかわいい。自分にだけ見せる彼女の表情だと思う。
「雨、まだ降っているのね」
彼の腕を抜け出して、裸のままで窓際にたたずむ彼女の美しい腰のくびれに感心する。そんな視線を感じてか、彼女はカーテンを腰に巻きつけた。下半身に作られたドレープが一層くびれを協調して美しい。肩甲骨のくぼみが、はっきりとした陰を背中に刻んでいる。見られることを意識した後姿だ。女らしさの中に強さを感じる体。それなのに、愛し合うときはあんなに柔軟になる。女は不思議だ。
「やっぱり寒いわ。温めて」
ふたたびベッドに戻ってきた彼女の肩が冷たくなっていた。
「もう一度愛して」
「夕べのように?」
「違う愛しかたがいいわ。朝のほうが好きなの」
「お望みのままに」
笑いながら手招きをする彼の上に彼女が覆いかぶさった。目と目を合わせて微笑む。
「わたしって淫ら?」
「正直なだけなんじゃないの」
「キライにならない?」
「もっと好きになったよ」
「ねえチエックアウト遅くしてもらっていい?」
「お望みのままに」
彼は再び繰り返した。こんなわがままならいつでも聞いてあげる。ゆっくりと愛しあおう。


雨の匂いのする街の思い出1



「なぜなんだろう?」彼女は不思議に思う。
この季節、春の雨は思い出をよみがえらせる。それは忘れかけていた恋の思い出ばかり。
あの日の朝、今日よりも暖かい雨の中で一人街を歩いた。今まで一緒にいた男との夜を洗い流すためにスーツの肩をぬらして歩いた。もう終わりにしようと、そのとき彼女は雨の中で泣きながら、でも顔は上を向けて決心した。雨の冷たさは体温と混じり頭の中を冷静に変えていく。恋の終わりは決心から始まる。今回の別れは彼女の決心から。
ある日、好きな男と車の中でSADEを聞きながら流れるように窓を落ちる雨の飛沫をみつめていた。男が肩を抱く。振り返り彼女から、彼の唇を奪った。「好き」とつぶやきながら、彼の瞳をのぞく。雨煙の中で灯台の灯りがボーッとかすかに震えた。「これからどうするの?」無意味な質問をあえてした。わかっているはずなのに。恋の終わりに向けて新しい恋は始まる。

strong woman


強くなりたい。

自分らしくいるために強くなりたい。

あなたを愛してから、わたしらしさを失いそうだから。

ただ馴れ合いのようにわたしを愛している振りをしているあなたを知っている。

優しいから拒否できないのも気づいている。

わたしをキライではないというあなた。

でも「only one」ではないのね。

わたしがそばにいなくても、きっと平気ね。

あなたがわたしの一部になる前に、別れをわたしから告げなくてはいけない。

strong woman

あなたに恋する前のわたしを、誰かがそう呼んだ。

そう、強くなりたい、以前のように。

サヨナラを言うために。