39 夏の恋人6
今年の梅雨明けを思わせるような荒々しい雨が降った。
遠くで雷が何度も鳴るのを聞きながら、冷たいミントティーを飲んで新聞を読む。
リビングの窓にたたきつける雨をみつめながら、今日は家にいようと決めた。
本当は桧垣との約束があった。
隣の町でダンスのリサイタルを見て、ブランチに行く。
夕方からの予定は決めていない。
お気に入りのビストロでワインを飲みながらTomatoの冷たいパスタを楽しむか、
ホテルのラウンジで胡桃を食べながら、フローズンダイキリで乾杯するか、
とにかく二人で夜まで過ごすことになっている。
だけど、雨の大きな音を聞いたとき、カオリは昨日の高見を思い出していた。
びしょぬれの子犬のような彼が傘を差して自分のところへ戻ってきたとき、
大切な宝物が戻ってきたようなうれしさを思い出した。
そして、高見は今の自分にとって宝物そのものだということを知った。
だから、雨の音を聞いたとき、二人で歩いた街での時間に戻ってしまう。
こんな気持ちのままでは桧垣とは会えない。
桧垣の好きな自分ではないから、がっかりさせたくないという気持ちもあった。
カオリはわざと忙しく部屋の片付けなんかをして約束の時間を忘れようとした。
約束の時間が過ぎて30ほどして携帯が鳴る。
「今どこなの?」
「家にいるわ。」
「なぜ?」
「朝起きたらすごい雨だったから、もう出て行けないと思って、また寝てしまってたの。だから今からお化粧してたら2時間くらいかかるわ。」
カオリはウソをついた。
「今日は、もう会えない?」
「なんだかそうね、運転して出てく元気がないかも。ごめんなさい。」
昨日の一色との雨の時間がなければ、桧垣と会いたいと思っていたはず。
今日会わなければ、またしばらく会えないこともわかっている。
「わかったよ。雨の運転は確かに危ないからね。無理しないほうがいい。」
「ごめんなさい。」
「気にしなくていい。後でまた電話して。」
リサイタルが始まるのだろう、ザワザワした人の気配を電話越しに感じた。
麻のスーツをさりげなく着こなして、背筋を伸ばしてドアの向こうに消える桧垣を想像できる。
今日、彼と会うために準備した水色の花柄のワンピースを眺めた。
ちょっと寂しげにワンピースがエアコンの風で揺れた。
カオリの気持ちも少し揺れている。
計算できなくなっている。
恋の計算は、うまくできない、いつまでたっても。